| REX 的个人资料ふと思ったこと。照片日志列表 | 帮助 |
|
|
1月4日 すべては流れのままにあけましておめでとうございます。
2007年ですね。
どういう歳になるんでしょうか。
春には初の選挙です。
どうなるんでしょうか、これからの日本は。
安倍政権にも、どうも期待はできなそうです。
実際には期待できる部分もあれば、期待できない部分のほうが大きいということでしょう。
日本にも前台湾総統、李登輝のような政治家は現れてくれないでしょうか。
どうも俺は自我が強すぎるようです。
といっても、まだ学生、社会的にも、経済的にも自立はしていないわけですが、
自我が強すぎる。
自我を、個を捨てて、公のため。というような精神は、いまだ芽生える気配がありません。
いつからこのように他人の言うことは耳にしなくなったのでしょうか。
交友関係でも、うわっつらな会話だけで、「語る」ということから離れている気がします。
いや、自らにベルリンの壁を建設し、東西の交流を断絶しているのかもしれません。
親しい人にも、ATフィールドをはっているのでしょうか。
ATフィールドねぇ。EVAネタです。
誰もがもってる心の壁、と作品中には解釈される部分もあります。
人は誰もが心の空白を持ち、
そこからくる寂しさや、無力感などを覚えます。
かといって、それを自分から解消する努力をするのでもなく、
同時に自分の殻に閉じこもり、逃げるような行動をとるでしょう。
ただひとつの心の拠り所といえど、それが果たして心の拠り所なのか、
疑ってしまう気持ちすら覚えます。
閉じこもる気持ちはよくわかります。
そうして、このように、どこにも吐き出せないこの思いをネットに流して、
自己満足を得て、心満たされた気持ちになっている単純さも兼ね備えているわけだ。
今は座禅でも組みたい気分です。
自分と向き合い、考え、各々の答えを出すべきだ、と。そう思います。
しかしそう考えている間も、無常に時間は過ぎていき、
ゆがんだ社会システムは一層ゆがんだものへと変化していきます。
自分探し、などというものには虫唾が走りますが、
禅を組むなどをして、自分と向き合う時間を捻出するのは、大変有意義なことでしょう。
友とは何か、恋人とは何か、社会とは何か、男と女とは何か、
自分の心の拠り所は、一体なんなのか。
人とは何か。
いっそのこと核戦争にでもなって、世界が滅んでしまえばいい。
どうも哲学的になってしまう、そんな冬休みです。 12月4日 父を訪ねて3000里5歳のころからこっちで暮らしています。
記憶があるのは、母親と喧嘩している姿だけ。
顔は思い出せません。
声なんてのはもってのほか。
写真も残ってない。古い写真の中に見つけることもあるけど
「こんな顔なん?」という印象だけ。
名前すらわかりません。
聞けば教えてくれるだろうケド、母と父親の話はしたことがない。
きっと物分りがいい子だったんだろう。
「俺の父さんどこいったの?」なんて質問、したことないもんな。
あのころからやっぱ頭はきれたんだね、俺(ちょw
自分の中での父親像なんてものがないから
自分に子どもができたとき、どう接すれば、なんて悩むんでしょうか。
ま、きっと俺は良いお父さんになるだろうと確信してるけどね。
居なかったからこそ、理想の親父像が見えるもんだよ。
最近想うことがある。
もう二十歳になり、一応、成人した。
大学に通い、勉強もちゃんとしてる。
完全に、とはいえないけど、一人の男になったわけだ。
名前なんて調べりゃすぐわかる。
今ならその名前から、どこに住んでるかなんて、すぐわかる。
ちょっと探してみようかしら。
何故か。
「母を捨て、女手ひとつで育てた苦労を思い知れ」
と、ぶん殴ってやりたいからです。
決行するかしないかはまた闇の中。
こういう俺を哀れむような友達は俺にはいないと思うけど、よしてくれよな。
シリアスでもなんでもないから。
なんかひとつの映画ができそうなシナリオが書けそうだ。 11月24日 危ない香り巷を賑わす、「核保有議論」
自民党中川政調会長の発言が波紋を呼び、麻生外相も同様の発言をし、非難を浴びている。
まったく、みんなどうかしてるぜ。
まぁ、日本のマスコミのほとんどがどうかしてるのは言うまでもないけど、
なんか、本当にみなさんそれでいいのですか?
ホットなニュースでは、非核4原則って言われて、
「持たず、作らず、持ち込ませず、言わせず」
なんてことも言われてるんだぜ?
言わせず、だって?
おいおい、ちょっと待った、それって言論統制じゃないか。
核について議論しましょう、なんて、言っちゃいけないの?
それって、カナリ危険な臭いがしませんか?
だって、議論しようって、いっちゃだめなんだよ?おい。こら。
まったく、みんな無知ってか非常識すぎるんじゃないの?
日本人の風習で、「言霊信仰」というのがあるそうです。
元来日本人は言葉に霊的なものをかんじる民族です。
例えば、いい例で
明日遠足があるとします。ある男の子が、「明日雨になればいいのになー」なんて冗談で言ったとします。
明日、実際に雨が降ってしまいました。
そこで、その発言をした男の子は、「おまえがあんあこと言うから雨になったんだろー!」っていうように
みんなから文句やケチを付けられてしまう、といった感じです。
このように何かを発言したら、潜在意識の中で、「もしかしたらそうなってしまう」と思い込んでしまうようなのです。
だから中川氏の「核について議論すべきである」という発言は「日本が核武装する」というように、心の深いところで、感じ取ってしまうということが、日本人にはどうやらあるようです。
日本人は大方そうなのでしょう。
それはそうとして、今の仕方ない世の中のひとつの例として挙げたまでで、
さて核についての議論です。
私はもちろん議論は必要だと考えます。
議論するのはおおいに結構。そしてあらゆる可能性を探ってもらいたい。
だいたい、核を持つことのメリット、デメリットが、しっかりあげられるという人も少ないでしょう。
単純に、日本は被爆国だから、率先して核廃絶に勤めなければならない。だから持たない。
この考えは大変すばらしい考えだと思います。しかし、それで国を守れるか、といったらまた別の話です。
日本は唯一の核の被爆国であり、そのことは消えません。
そして後世にこのようなことがあってはならない、またこのような出来事があったということは語り継がなければなりません。
それは絶対です。
しかし、先も述べましたが、それだけで日本は守れるのか、という話になってきます。
守れる、というよりも、核を持たなかったらどういったことが起こるのか、しっかり考えなければなりません。
実際には、日本が核を持つことは有り得ません。
北朝鮮のように核実験を行ったとします。
まずアメリカが反対しますし、アメリカが率先して国連安保理で制裁決議をとるでしょう。
そして各国もそれに賛同します。これは、北朝鮮が核実験を行った後の各国の対応を見ていれば予想できます。
結果、日本は経済制裁をくらうことになります。
また、日本の場合、エネルギー資源はほとんどすべてが輸入です。
その輸入をストップされてしまったら、日本のあらゆる産業はなりたたなくなり、日本は破滅の道に進むことになります。
なので、日本は実際に核は持つことが出来ません。
ならば、日本には何が必要なのか。
そう、まずはそういった認識を皆が持つことです。
実際に核の議論をしようが、日本は核がもてるはずがない。
仮に核を持つことが出来たら、どうなのか。
それは抑止に繋がります。このご時勢、核戦争が起こらない、と断言はできませんが、
すくなからず、相手から攻撃を思いとどめることはできます。
反核を掲げ、反戦を掲げる、日本。
その日本には、核を持たない。という覚悟が必要なのです。
核を持たない、抑止になる絶対的なものがない。それで国を守れるのか。
それならどのようにして守るのか、どのようにして反戦反核を守り通すのか、
そういったことを、核の議論とともに行い、持たないなら持たないなりの覚悟を改めね認識してほしいものです。 11月23日 ポジティブな女、ネガティブな男男「今日もまた失敗した・・・。俺なんて、どうせこんな人間なんだ。いっそのこと・・・」
手首にかみそりを突きつけ、彼は言った。
ガチャ
女「おっっっっっっっはよー!!!!!!あっ!またまたたっちゃん何してんの~↑↑」
女「あっひげそりの準備かぁ~たしかにここ最近ひげのびっぱなしだもんね~」
かみそりをとりあげる。
女「じゃあこれから料理つくるから待っててね~♪」
達也「・・・・俺なんてどうせ生きている意味なんてないんだ。」
達也、台所の包丁を持ち出し、自分の腹に向け突きつける。
女「あっれ~包丁がないな~。あっ!なぁにぃ~たっちゃん、用意してくれてたのねぇ~ありがとう☆」
女包丁をとりあげ、おもむろに料理を始める。
達也「また明日もどうせ失敗するんだろうなぁ。そして課長に怒られるんだろうなぁ」
ガラガラ。達也、窓の前に立ち全開にする。ちなみにここは10階。
飛び降りようと、足を掛け身を乗り出す。
女「おーっ!ナイスタイミング!ちょうど換気扇回したし、空気の入れ替えをしようと思ってたのー♪」
女、達也の襟をつかみ思いっきり引っ張る。
女「う~やっぱちょっとさむいねぇ~でもちょっとの間あけとこうか!」
達也「俺にはどこにも居場所は無いのさ。どこにも・・・」
達也、落ちていたビニール袋を頭にかぶり、口を閉じる。
女「おっ!たっちゃん!今三角コーナーにビニール袋が必要でさがしてたの!」
女「準備してくれてたなんて、なんてできる彼氏なのかしら♪鼻高々よねん♪」
女、ビニール袋を取り上げ、肩をポンと叩いた(叩いたと言っても突き飛ばすくらいの威力で。)
達也、しりもちをつく。
達也「仕事も、遊びも、友達関係も、なにやっても俺はだめなんだよ・・・」
達也、吹っ飛んだ先で頭を強く床に叩きつけ始める。
女「なぁにぃ~そんなに大きなおと立てなくても聞こえるわよぉ~何か用?」
女、達也に近寄る。
達也「俺なんて、どうせだめな人間なんだ。このまま生きてても仕方が無いんだ。」
女「そんなことないよ!達也はすばらしい人間だよ!でも今は気分は沈んでるだけ!」
女「だからまずはしゃきっとするために気合をいれなきゃね!」
達也「き、気あ」
バシッ!
女、達也をグーでなぐる
女「だめだって!そんな弱気になっちゃ!もっと、もっとがんばらなきゃなんだってばぁぁぁl!!!」
バシッ!ドスッ!ガンッ!バキッ!
バシッ!ドスッ!ガンッ!バキッ!
ダダダダダダダダダダ
ゴン!ゴン!ゴン!ゴン!
ドス!ドス!ドス!ドス!
ガンガンガンガンガン!
バキィッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
達也、ぴくりとも動かなくなる。
女「ね♪これで気合入ったでしょ?」
女(あーーーーーーーーーーーーいいことしたっ♪やっぱいいことしたあとって凄く気分がいいねわ♪)
女ルンルン気分で料理を---------- 再開 -----------。 11月20日 サスペンスあるところに、シンジ、アスカ、カオルという男女3人がいました。
3人は友達同士で、シンジとアスカは恋人同士でした。
-----------------------------------
シンジとカオルはとある海鮮料理屋に行きました。
メニューに「ウミガメのスープ」があるというのです。 2人はそれを注文し、食べました。
カオルは完食。しかしシンジは一口口にしてあとは残してしまいました。
翌日、シンジは自殺して死んでしまいました。
-----------------------------------
ある日3人は海へ出かけました。
海へ出かけ、ボートなどで遊んでいるうちに、流され、小さな無人島にたどり着いてしまいました。
はじめのうちは遊んでいたものの、気づけば方角や、今自分たちがどこにいるかもわからなくなってしまいました。
そう、彼らは遭難してしまったのです。
がんばって生き延びるために必死に食料を集めたり、サバイバル生活を営みはじめました。
しかし、次第に空腹と不安が彼らの気力と体力をそぎ始めました。
あるとき、カオルは食料を探しに行きました。
アスカもまた食料を探しに行きました。
するとカオルは食料だけではなく、料理まで作って帰ってきました。
カオル「捕まえたウミガメで作ったスープだ。ウミガメを見つけたからその場でさばいて作ってきた。みんなで食べよう。」
アスカはまだ食料を探しに行ったまま。料理も冷めてしまうので、アスカの分を残し、とりあえず2人は食べることにしました。
しかし、2人は飯をたいらげるというのに、アスカは一向に帰ってくる気配がありません。
おかしい、なにかあったのではと思ったシンジは、探しに行こうと提案し、2人であたりを探しました。
それでもアスカはいません。夜も遅かったので、いったん探すのをやめて、朝探すことにしました。
それから、数日、小さな島を探し回りましたが、結局みつかりませんでした。
シンジは悲しみに打ちひしがれました。きっと、もうどこかで死んでしまっていると。
それからさらに数日後、近くを通った漁船に助けられ、2人は無事生還しました。
その後、島を捜査してもらうも、アスカはでてきませんでした。
数ヶ月後、シンジとカオルはとある海鮮料理屋に行きました。
そこには、自分たちを助けてくれた「ウミガメのスープ」があるというのです。
命を救ってくれた料理ということもあり、2人はそれを注文しました。
出てきた料理に感動を覚えながら食べ始めました。
カオルは「うまい」とガツガツ食べ始めました。
シンジは一口スープを口にしたとたん、顔つきが変わりました。
シンジ(・・・これが、ウミガメ?どこか、こないだ食べたやつとは食感がちがう。まるで別のものを食べているみたいだ。)
カオル「どうした?食わないのか?うまいぞ」
シンジは思いをめぐらせました。あまりにも、こないだ食べたウミガメとは違う。
シンジ「すみません、これ、本当にウミガメですか?」
店員「そうですよ。このあたりでとれたウミガメです。」
おかしい。明らかに違いすぎる。味、食感。まるで別のものを食べているようだ。
何かの間違いか?気のせいか?
カオルが持って帰ってきたウミガメのスープ。捕ったウミガメ。食料を探しに行って、料理を持って帰ってきた。
あれは本当にウミガメだったのか?だったら一体なんだったんだ。
そう思ったとき、シンジの顔は青ざめました。
ちょうどあのとき、アスカも食料を探しに行っていた。しかし、戻らなかった。
死んでいたとするならば、遺体くらい出てきてもいいものの、いくら捜査しても出てこなかった。
あのとき一体なにがあったのか。
シンジは食料を持って帰ってきた。ウミガメのスープだ。
それになぜ、調理をしたものを持って帰ってきたのだ。戻ってから調理はすればいい。
しかも、ここのウミガメ料理とは、まるでといっていいほど、味、食感が違う。
では、俺らがあの時食べていたものは。
カオルがウミガメと言って持って帰ってきたもの。
アスカ。
食料を探しに行った2人。戻らないアスカと、調理済みの食料を持ち帰ったカオル。生還した2人。出てこない遺体。
カオルがアスカを殺した。
いや、そんなことはもはやどうでもいい。
あの時食べたもの、それは恋人であるアスカ。恋人を食った?
シンジはそれから無言になり、スープは一口食べただけで、すべて残す。
翌日、罪の意識からシンジは自殺し、自らの命を絶ちました。
-----------------------------------
これはクイズ的なゲームです。
先日車の中でやりました。
冒頭の男2人がウミガメのスープを食べ、
1人が一口を食べただけで、あとは残し、翌日自殺してしまう。
という情報からスタートします。
親は、プレーヤーの質問にYes or Noとだけ答えることができます。
まぁ、それでどんどん質問してって今書いた真相にたどり着くってわけです。
11月16日 厭世的な暮らし世の中が嫌いなわけじゃない。ただちょっと面倒に感じちゃうだけ。
何かひとつのことに集中していれば、他のことを忘れていられる時間が長い。
受験勉強のときがそうだった。
人間として自立はしていないものの、ほかに何もしなくて良かったというあの環境は何にも変えられない価値がある。
私はそう思うのだ。
今となると、例えば大学の講義に出て、専門をしっかりと学びたい。
それだけ、その研究だけをしていれば、きっと楽しいと思うし、なにより楽。
しかし、そうもいってられないのが現実というものだ。
大学以外に、働いて自分のお金を稼がなきゃいけない、サークルなどに入ろうもんならそれらの企画などがある
友人との約束、上司・同僚との付き合い、様々なことがからんでくる。
絡むだけならいい。しかし、私自身に入り込んでこようとする。友人付き合いなんてそれのほとんどだ。
自分のペースというものを崩されたくないというのが根底にあり、それを乱される、すなわちそれが面倒くさいという原因になるのだ。
「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンのように、誰も自分のことを知らず、また自分のほうも誰も知らないところにいって
耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと、どれだけ思ったことか。
まとめると、単純に不器用なだけというのも知っているし、一種の逃げとも捉えられる。
そんかことを考えさせる、秋とはいえない寒い夜だ。
11月14日 偏り生活今日からブログを小説っぽく書いてみるよ。
すっかり夜は真冬並みの冷え込み。いささか大げさではあるが、秋はもう感じられない。
夏のようにとろけそうな、夜の空に溶け込むような感じはなく、カチコチに固まり、暗い空間に孤独を見出す感じに近いものがある。
今日もバイトを終え、上司や後輩とも食事はせずにまっすぐ帰宅。普段ならゆっくり過ごしているものの、今日はそんなこと言ってられない。
明日提出のレポートがあるのである。
よく「理科系の大学はレポートが忙しい」などと言うが、私の通う大学では、そんな様子は微塵も感じられない。
いや、ただ逃げでレポートがないような授業しか受講していないのかもしれない。
しかし、今日はまっすぐ帰宅してすぐにレポートに取り掛からないといけないのである。
大学の講義は、後期に入ってから一気に減り、1週間の授業コマ数は10コマしかない。
人間とは成長しないもので、私の場合特にそれに当てはまる。
少ないはずの講義やレポート、にもかかわらず、毎回このように締め切り間際でレポートに追われるのである。
極めつけは、そういった期限迫るときに限り、たくさんの予定が入ってしまうものである。暇なときはとことん暇なのに。
講義があまりない上に、今は特に部活動や課外活動をしているわけではない。
普段の私は、傍から見るとやる気のない、面白みのない人間なのだろうが、それは間違いである。
たしかに講義が終わったあと、且つバイトのない日なんてものは悲惨なものだ。
家に帰ってパソコンの前に向かい、無駄にだらだらと夜と共に過ごすのである。
私の考えでは、夜起きている人間の方が、将来面白みある人間になると信じているのもあり、活動の重点を深夜に置いているのである。
夜はいい。それも何もすることがなく、ただ起きている、あの時間は何にも変えられない。
きっと社会にでて仕事をするようになってからは、ああいった時間はお金を出さなければ買うことができないだろう。
そんなことを考えている間にも、夜の作り出す闇はますます深まるばかりなのだ。 11月10日 無礼者に物申す今日、八王子駅から京王八王子まで歩いているときのこと
なにやら今流行のキャッチに声かけられた。
手相か何かかな?聞いてなかったからわからないけど、かなりしつこい。
こういう場合、俺はもちろん、感じ悪くシカトを貫き通す。
でも、なにやら後ろからついてきて、ごにょごにょ言っているではないか。
本当にあまりにしつこいので、言ってやった。
俺 「君は人と話すときは、相手の顔も見ないで話しかけるのかい?」
(歩きながら、そして視線は前方)
(君とか言っちゃったけど、確実に相手のほうが年上www)
怪しい男性H 「・・・す、すみませんでした。じゃあちょっと止まってもらえるでしょうか?すみません。」(俺の斜め前に出る)
俺 「・・・・」止まらず、ひたすら歩き続ける。
あわてて追いかけてきて、俺がさっき受け答えしたのをいい気になったのか、諦めようとしない。
怪しい男性H 「で、でないとあなたの顔が見てお話きけないじゃないですか?」
俺 「じゃあ無理なんじゃん?」
怪しい男性H 「・・・・・・・・・・・・・。」
男は夜の八王子に消えていった。
俺、すんげぇ嫌な感じじゃんか~^^;
にしても、しつこいキャッチ、いるよねぇ~逝ってよ..._〆(゚▽゚*)
ペースは崩されたくないものですね。
キレイゴト言う輩さて、7月から更新してなかったブログを、復活します。
理由は簡単。
mixiの日記じゃぁ見られたくないような人にまで、日記を公開しなきゃいけないから。
かといってこっちに匿名性があるわけでもないけどね。
思いのままに書きますさ。
キレイゴトってすばらしいね。うん。
「世界の人がみんな手をつないでひとつになれば、きっと平和になれるのに」
「どの国も今こそすべての武器を捨てれば戦争なんてなくなるのに」
「すべての人に愛を」
一部の例ですが、本当にすばらしいこと言ってる(σ・∀・)σYO!
まったく、どういう神経だったら、こんなにもすばらしいことが言えるんだわさ
すばらしいね、まったく。
世界中の人が手をつないでひとつに?
その国独特の文化や伝統、宗教や教育、そういう国柄をすべて捨てろと?
すべての国がひとつに。なんて傲慢なことだろうと思うけど、それを言ってのけるYOUは
すばらしいね、まったく。
どの国もすべての武力を放棄?
まったくの無秩序が形成されてしまいますが?
これもやっぱ世界がひとつに~と同じ発想だろうね、
なんてすばらしいんでしょう、まったく。
すべての人に愛を
もはや返す言葉もありません。キリストかい、あなた。
神にでもなったつもりかい。
すばらしいね、まったく。
自分は大抵、何されても、人のことを引いたりしません。
例えば、女性がタバコすってると引く。って人もいるけど、
俺はなんてことない。めったなことでは引きません。
しかし、キレイゴトを言うやつだけには、リアルに引きます。
偽善者です。その人は、きっと。
キレイゴト。
くそくらえ(・д・)チッ 7月31日 2015年やはりこれからはアジア経済なのでしょうか。
新米か新中かといわれたら、
やっぱ中国と親しくなって、アジアの結束を強化するべきなのでしょうか。
そのためには乗り越えなければならない課題は多いけどね。
アジアに進出するとしよう。
これからはどんなビジネスがいいかなぁ~。
生物工学部だから
やっぱバイオベンチャーでも立ち上げるべきかな。
でも、もうそれすらも時代に乗り遅れてる気がするしねぇ。
なんだろう。
ITみたいな、あたらなそういう産業をもって
アジア経済に進出していったら
本当に儲かりそうな(゚∀゚)ヨカーン
7月27日 生命と記憶と記録と「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、
社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、
都市は巨大な外部記憶装置ってわけだ」
これは映画「イノセンス」に登場するキャラクター、バトーのセリフ。
押井守監督の本音であろうセリフ。
「都市とは人間がつくりだす最大の人工物。
家具や美術ではなく、建築や土木でもない。
それらをすべてを飲み込む都市こそが、
人間が創造するもっとも大きい究極の作品。
パリのデファンス地区やベルリンのポツダム広場など、
明快な理念によって都市が計画されている場合は、言うまでもない。
しかし、たとえそれが無秩序に生成していたとしても、
やはり人々の欲望や集団的な無意識が忠実にあらわれた結果なのである。」
これは建築史家、五十嵐太郎の言葉。
7月26日 蝉の音が聞こえる夜に7月も下旬。
いまだに梅雨はあけないでいる。
梅雨前線が北上しない限り、太平洋上からの暖かい空気はやってこない。 涼しい今日この頃。実に過しやすく、私はこれくらいが陽気が好きだ。 昨日、授業を終え、今日のテスト勉強でもしようと、図書館でへと向かって学内を歩いていると、ふと蝉の声を耳にした。 ヒグラシ。 微妙な気温と、時折吹く爽やかな風、それらと同調するように鳴くヒグラシの声は、 夏の終わりを思わせるような、そんな雰囲気だった。 蝉の一生は、幼虫時代を長いもので10年以上地中ですごし、 地上に出てきて成虫になったら、鳴くだけ鳴いて数週間で死んでしまう。 長い長い地中での生活と、地上に出たらすぐに待ち受けている死。 人はよく、このような形で生涯を閉じる蝉に対して、「かわいそう」だとか「悲しい」などといったことを口にする。 確かに、人間にとって、今こうして立っているこの大地こそ楽園であり、それが生活の主体となる場である(もちろん地獄に変わりうることは言うまでもないが)。 地中での生活は不幸。地上での生活は幸福。 こう考えるのは自然であり、その地上での生活が数週間しかないならば、 それ即ち「かわいそう」ということになるだろう。 私は思ったのだ。 果たして、このことが蝉にも同様にいえるのだろうか。 蝉が地上に出てくるのは、もちろん繁殖のため。 交尾をし、子孫を後世に残すための、いわばプログラムされた行動。 種の保存。 そのために腹をジーと鳴らして雌を呼びつける。 そして雌は産卵をし、その生涯を閉じる。 幼虫になると地中でもぐり、木の根の導管より樹液を吸って育つ。 もちろん、地中といえど天敵はいる。 モグラや、コケラなどである。また菌類の冒されて死ぬこともある。 地上にもたくさんの危険が待ち受けている。 カマキリ、クモ、鳥類、あとはスズメバチなどに捕食される。 地中、地上にどちらにも危険はあるわけで、それを人間の私たちにはどちらがいいのかは判断できない。 蝉にとってはどちらのほうが幸福なのか。 人間の言う、地上での生活は幸福、ということは当てはまるのか。 それは人間の思い込みではないのか。 蝉の生活に人間の生活を当てはめて考えすぎてはいないか。 もし、蝉にとっては地中での生活が幸福で、地上での生活が不幸なことであったら、 そういった場合、蝉たちにとっては地上での生活が短いほうがいいのだ。 長い期間地中で幸福な時間を過ごしてきた蝉にとっての、地上進出は、 まったく違う意味での「かわいそう」になってくるのである。 私はこうした一方的な思い込み、決め付ける行為に対して、 人間のエゴを感じずにはいられない。 |
|
|