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12月4日 父を訪ねて3000里5歳のころからこっちで暮らしています。
記憶があるのは、母親と喧嘩している姿だけ。
顔は思い出せません。
声なんてのはもってのほか。
写真も残ってない。古い写真の中に見つけることもあるけど
「こんな顔なん?」という印象だけ。
名前すらわかりません。
聞けば教えてくれるだろうケド、母と父親の話はしたことがない。
きっと物分りがいい子だったんだろう。
「俺の父さんどこいったの?」なんて質問、したことないもんな。
あのころからやっぱ頭はきれたんだね、俺(ちょw
自分の中での父親像なんてものがないから
自分に子どもができたとき、どう接すれば、なんて悩むんでしょうか。
ま、きっと俺は良いお父さんになるだろうと確信してるけどね。
居なかったからこそ、理想の親父像が見えるもんだよ。
最近想うことがある。
もう二十歳になり、一応、成人した。
大学に通い、勉強もちゃんとしてる。
完全に、とはいえないけど、一人の男になったわけだ。
名前なんて調べりゃすぐわかる。
今ならその名前から、どこに住んでるかなんて、すぐわかる。
ちょっと探してみようかしら。
何故か。
「母を捨て、女手ひとつで育てた苦労を思い知れ」
と、ぶん殴ってやりたいからです。
決行するかしないかはまた闇の中。
こういう俺を哀れむような友達は俺にはいないと思うけど、よしてくれよな。
シリアスでもなんでもないから。
なんかひとつの映画ができそうなシナリオが書けそうだ。 11月10日 キレイゴト言う輩さて、7月から更新してなかったブログを、復活します。
理由は簡単。
mixiの日記じゃぁ見られたくないような人にまで、日記を公開しなきゃいけないから。
かといってこっちに匿名性があるわけでもないけどね。
思いのままに書きますさ。
キレイゴトってすばらしいね。うん。
「世界の人がみんな手をつないでひとつになれば、きっと平和になれるのに」
「どの国も今こそすべての武器を捨てれば戦争なんてなくなるのに」
「すべての人に愛を」
一部の例ですが、本当にすばらしいこと言ってる(σ・∀・)σYO!
まったく、どういう神経だったら、こんなにもすばらしいことが言えるんだわさ
すばらしいね、まったく。
世界中の人が手をつないでひとつに?
その国独特の文化や伝統、宗教や教育、そういう国柄をすべて捨てろと?
すべての国がひとつに。なんて傲慢なことだろうと思うけど、それを言ってのけるYOUは
すばらしいね、まったく。
どの国もすべての武力を放棄?
まったくの無秩序が形成されてしまいますが?
これもやっぱ世界がひとつに~と同じ発想だろうね、
なんてすばらしいんでしょう、まったく。
すべての人に愛を
もはや返す言葉もありません。キリストかい、あなた。
神にでもなったつもりかい。
すばらしいね、まったく。
自分は大抵、何されても、人のことを引いたりしません。
例えば、女性がタバコすってると引く。って人もいるけど、
俺はなんてことない。めったなことでは引きません。
しかし、キレイゴトを言うやつだけには、リアルに引きます。
偽善者です。その人は、きっと。
キレイゴト。
くそくらえ(・д・)チッ 7月31日 2015年やはりこれからはアジア経済なのでしょうか。
新米か新中かといわれたら、
やっぱ中国と親しくなって、アジアの結束を強化するべきなのでしょうか。
そのためには乗り越えなければならない課題は多いけどね。
アジアに進出するとしよう。
これからはどんなビジネスがいいかなぁ~。
生物工学部だから
やっぱバイオベンチャーでも立ち上げるべきかな。
でも、もうそれすらも時代に乗り遅れてる気がするしねぇ。
なんだろう。
ITみたいな、あたらなそういう産業をもって
アジア経済に進出していったら
本当に儲かりそうな(゚∀゚)ヨカーン
7月27日 生命と記憶と記録と「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、
社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、
都市は巨大な外部記憶装置ってわけだ」
これは映画「イノセンス」に登場するキャラクター、バトーのセリフ。
押井守監督の本音であろうセリフ。
「都市とは人間がつくりだす最大の人工物。
家具や美術ではなく、建築や土木でもない。
それらをすべてを飲み込む都市こそが、
人間が創造するもっとも大きい究極の作品。
パリのデファンス地区やベルリンのポツダム広場など、
明快な理念によって都市が計画されている場合は、言うまでもない。
しかし、たとえそれが無秩序に生成していたとしても、
やはり人々の欲望や集団的な無意識が忠実にあらわれた結果なのである。」
これは建築史家、五十嵐太郎の言葉。
7月26日 蝉の音が聞こえる夜に7月も下旬。
いまだに梅雨はあけないでいる。
梅雨前線が北上しない限り、太平洋上からの暖かい空気はやってこない。 涼しい今日この頃。実に過しやすく、私はこれくらいが陽気が好きだ。 昨日、授業を終え、今日のテスト勉強でもしようと、図書館でへと向かって学内を歩いていると、ふと蝉の声を耳にした。 ヒグラシ。 微妙な気温と、時折吹く爽やかな風、それらと同調するように鳴くヒグラシの声は、 夏の終わりを思わせるような、そんな雰囲気だった。 蝉の一生は、幼虫時代を長いもので10年以上地中ですごし、 地上に出てきて成虫になったら、鳴くだけ鳴いて数週間で死んでしまう。 長い長い地中での生活と、地上に出たらすぐに待ち受けている死。 人はよく、このような形で生涯を閉じる蝉に対して、「かわいそう」だとか「悲しい」などといったことを口にする。 確かに、人間にとって、今こうして立っているこの大地こそ楽園であり、それが生活の主体となる場である(もちろん地獄に変わりうることは言うまでもないが)。 地中での生活は不幸。地上での生活は幸福。 こう考えるのは自然であり、その地上での生活が数週間しかないならば、 それ即ち「かわいそう」ということになるだろう。 私は思ったのだ。 果たして、このことが蝉にも同様にいえるのだろうか。 蝉が地上に出てくるのは、もちろん繁殖のため。 交尾をし、子孫を後世に残すための、いわばプログラムされた行動。 種の保存。 そのために腹をジーと鳴らして雌を呼びつける。 そして雌は産卵をし、その生涯を閉じる。 幼虫になると地中でもぐり、木の根の導管より樹液を吸って育つ。 もちろん、地中といえど天敵はいる。 モグラや、コケラなどである。また菌類の冒されて死ぬこともある。 地上にもたくさんの危険が待ち受けている。 カマキリ、クモ、鳥類、あとはスズメバチなどに捕食される。 地中、地上にどちらにも危険はあるわけで、それを人間の私たちにはどちらがいいのかは判断できない。 蝉にとってはどちらのほうが幸福なのか。 人間の言う、地上での生活は幸福、ということは当てはまるのか。 それは人間の思い込みではないのか。 蝉の生活に人間の生活を当てはめて考えすぎてはいないか。 もし、蝉にとっては地中での生活が幸福で、地上での生活が不幸なことであったら、 そういった場合、蝉たちにとっては地上での生活が短いほうがいいのだ。 長い期間地中で幸福な時間を過ごしてきた蝉にとっての、地上進出は、 まったく違う意味での「かわいそう」になってくるのである。 私はこうした一方的な思い込み、決め付ける行為に対して、 人間のエゴを感じずにはいられない。 |
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